ストーリー
Story
長い月日を共に支える基礎工事。簡単ではありません。
基礎を育む
しかし、その技術は熟練と経験がなくてはならないもの。
日吉大社(日吉神社)は滋賀県大津市坂本にある神社です。俗に山王権現とも呼ばれていて日本全国に約2000社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮です。 西本宮と東本宮を中心に、400,000m2の境内を持ち、猿を神の使いとして崇拝することで知られています。
先の写真は昭和52年に建造された日吉神社(東京都昭島市拝島町)の鳥居です。日吉神社は東京都史跡に指定されており歴史的境域に鎮座しています。 御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)、羽山戸命(はやまどのみこと)、香山戸命(かやまどのみこと)となっています。また、日吉神社の例祭は東京都無形民俗文化財に指定された榊祭(さかきまつり)としても有名です。
原島ブロック建設は、この崇高で由緒正しい鳥居建設を請け負いました。この工事での経験は原島本人における職人としてのターニングポイントとなったことは言うまでもありません。
昭和52年、当時巨人軍の王貞治選手がアメリカのハンク・アーロン選手を抜く756号本塁打の世界新記録を達成した年でした。そんな年、すでに当時から技術、人柄ともに地域に信頼を得ていた原島は日吉神社の鳥居の建設施工を請け負いました。
この工事当時のことを振り返ると、この工事は設計図がない工事だったので大変苦労したと原島は言います。なにぶん重量が重量なだけに慎重に慎重を期しました。総重量で40t、片側にかかる重量が20tですから何が大変かと言えばやはり年月に耐えられる基礎工事です。左右の地盤が違えば同じようにやっても傾きますから、試行錯誤の結果地中梁をいれ左右の平衡を確保することが出来ました。
数々の経験と毎日の努力と貪欲ともとれる勤勉さで日吉神社の施工も安全に無事に終了することが出来ました。この日吉神社鳥居工事を施工したおかげで基礎工事に対して原島自信を確信にしました。
数々の伝統技術を支えた経験、それが今の原島を支えています。
神明神社での工事の記憶は、玉石・石積みが非常に強く記憶に残っています。原島の若い職人時代は工事に関係することで自分の技術になるものは何でも経験したいという日々を送っていました。
石積みは目地を詰めて綺麗に仕上げるのが肝要なのですが、これがとにかく難しい。今の時代の何倍もの難しさ。
しかし数々の現場を経験した中には、石積みの職人たちと共に現場を経た経験がありました。
原島自身、この工事で使ったような石積みの技術は次の世代にも受け継いで行ってほしいと日々思っています。もちろん原島の元で働く職人たちにも確実にその職人魂は受け継がれています。
着実な仕事と、信頼のおける人格で地域では屈指の名士になった原島。拝島日吉神社祭礼には欠かせない「山車」の神聖な屋台小屋の基礎工事も請け負いました。
榊祭(さかきまつり)の歴史は古く、明和4年( 1767 年)からとされています。
午前0時過ぎから山車により榊が担がれ神社から出発し、朝方まで町内練り歩きます。クライマックスは神社に戻り、榊取りとされる小枝の争奪戦が行われます。この榊の枝を取ると一年間無病息災でおくれるといわれております。
そんな地域ではとても大切に行われている行事にも原島ブロックは携わります。
なかでも加美町屋台小屋・奈賀町屋台小屋・志茂町屋台小屋のすべての基礎工事を請け負うことになり、モットーである地域貢献、地域の信頼を得ることが果たせました。
原島ブロックは今後も地域の皆様に愛される、単なる施工会社の枠を超え、社会貢献もできる会社になりたいと思っています。